高専には来るな ― 4th Anniversary ―

はじめに

 

おはなしがアンハッピーを生むんだっピ、どうも4Iのアサピーの原罪です。

 

こんばんは、4Iのなかたです。初めましての方、かの兄の弟として認識して頂いてる方、俺を俺として認識してる方、それぞれよろしくお願いします。

 

この記事は奈良高専 Advent Calendar 2022 - Adventarの13日目の記事です。

 

さて、アドベントカレンダーを今年もやる、しかも腐れ縁の幼馴染(しゃち)が企画しているということで、私も読み手としてとても楽しみにしていました。

 

しかし、あるテスト前の日にたけちゃん(一昨日担当)とたなか(昨日担当)と3人で出席番号順に投稿しようぜ~みたいな話になってしまったので、こんな機会ももう無いかもしれないなと思い、参加してみました。

 

元々しゃちから聞いたときにワンチャン参加しよかな〜とは思っていたのですが、奈良高専において最も主体性のない男、最も受動的な男、最もキラキラ高専生活からかけ離れた男の怒涛の3冠を達成している私から、私よりもキラキラランクの高い皆様に語れることなど何もないな…ということで参加は見送っておりました。

 

ですが結局今回はアドカレに参加する世界線にいるということで、何1つこういう文章やブログを書いたことがない私ですが、参加するからには良いものを書こうという気持ちで頑張っていきますので、生暖かい心で受け止めてください。

 

 

本題

 

それでは本題、「高専には来るな」ということで、高専の求める人材とは真逆の人間がどんな高専生活を送ってきたのか、どうやって4年までやってきたのか、どんなメンタルで卒業を目指しているのかについて話していきます。

 

この記事を読んでいる方はおそらく高専とある程度うまく付き合ってる方が多いかと思いますが、今回は高専と分かり合えない底辺の暮らしぶりを是非ご覧ください。

 

 

まず、私は中学の頃はバキバキの文系でした。勉強は塾でするのがほとんどで、自発的にした覚えがあまりありません。成績が並みに良かったのでその時気づいていませんでしたが、今思うと当時から勉強は嫌いだったのでしょう。3年は10月頃まで部活に熱中していたので、他の人よりも受験勉強を始めるのは遅かったです。

 

そんな私が高専を選んだ理由はまさに1つ「親に言われたから」。第一そこまでの人生で親に従ってきてほとんど悪いことがなかったので、その理由で高専に進学することになんの疑問もありませんでした。小さい頃から高専祭や高専でのイベントに参加してきたのもあって、本当に何の文句もなく高専を進学先に選びました。

 

情報工学科を選んだのは一番偏差値が高かったのと、ゲーム作れたら楽しそうやな~という勘違い情報工学科生あるあるな理由です。

 

テストはあまり良かった覚えはありませんが、話すのが得意なのもあって、無事推薦入試で合格し、高専への進学が決定しました。

 

 

さて地獄の始まりです。

 

 

1年次は思い出したくないです。ド歴史なので。あのとき迷惑かけた皆様申し訳ありません。あのときから俺のこと知ってるのに未だに付き合ってくれてる皆様には本当に感謝しかありません。

 

私の恋愛歴はかなり面白い()ですが、色々解決した関係を今更ここで蒸し返したくもないので、この話は是非メシの席で。

 

勉強については自発的に勉強する習慣がないので、この時点でかなりボロボロでした。特に理系科目は酷かったです。お陰で今数学の基礎がほぼ壊滅しております。私の数学を積み木で例えるなら、底にスーパーボール1個置いてあるみたいな感じでグラグラです。でも不可は一つも取りませんでした。偉いな、俺。

 

部活については軽音入って辞めて、学生会入って辞めました。何度も申し上げますが、ご迷惑おかけした皆様申し訳ありませんでした。

 

 

2年次はほぼ覚えてないです。某ウイルスのせいでオンラインになって、何もせず無駄な1年を過ごしたという自覚だけは残っています。本当に何一つせず、人との関わりも減りに減ったため、潜在的な孤独感が育ちました。この時すでに人生が終わり始めていることに気づいていれば今何か変わっていたのでしょうか。いや、私の行動力では気づいたとて何も変えられないでしょう。

 

数学は依然無茶苦茶です。課題点でなんとか60に乗った感じでした。高専って意外に優しいシステムで出来ているところはありますよね。お陰で基礎がボロボロなんですけど(定期)。でも不可は1つも取りませんでした。偉いな、俺。

 

 

3年次は...

 

...何もしてないですね。今振り返りながら悲しくなってきました。これが華の18歳の年ですか。俺の青春isどこ。

 

でも青春コンプレックスってほど劣等感があったわけではなく、あの時の私はあの時の私なりに充実感を感じていたはずです。...今思うと何一つ記憶に残っていないけれど、きっと。

 

成績については友達にクソほど頼って、なんとか1つも不可を取らずに済みました。偉いな、俺。ありがとう my friend 。正直友達には恵まれたと思います。ずっとクソみたいな俺を救ってくれる天才たち、本当~マジで感謝感謝。お前ら俺みたいなのと絡まんともっと能動的な人間と絡めばいいのにと思ったことは一度や二度ではありません。

 

 

4年次前期、自我大爆発。BBAおばあ様による応用数学αと、情報工学実験の通称100枚レポートたちに追われ、自分の中で何かが崩壊していく音がしました。

 

毎週の数学課題、終わらないレポート、終わったと思ったら別の専門教科のレポート、小テスト、中間テスト...。ずっとずっと「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」の気持ちに追われて、それでも作業が手につかない時間があって、何一つ進まないまま夜が明けて、課題だけがどんどん溜まりに溜まって、手が付けられなくなっていく。

 

別に将来エンジニアになりたかったわけじゃない、こんな専門教科なんて正直好きではないのに、「優秀な情報系エンジニア」になるための課題をこなしていかなければならない。

 

本当に、ただひたすらに地獄でした。

 

毎晩パソコンの前で、一向に進められない、終わらない課題の数々に絶望しました。

 

あの時期ほど朝が来るのを呪った日々はありません。私の名前は「どんなに辛いことがあっても、朝は登ってくるから。明けない夜はない。」って意味で母親がつけてくれたのですが、いやマジでその朝が登ってくるのが毎日毎日憂鬱で憂鬱で堪らないんですよ。遅効性の呪いか何かですか??

 

 

そんな毎日が続いたある深夜、レポートを前に完全に限界を迎えた私は、父親に「高専マジでもう無理」と言いに行きました。何故父に言ったかというと、ただそのとき起きてたのが父親だけだったからです。

 

父親は高専を勧めた本人なので、結局高専を卒業してほしいという結論でその晩は終わりました。高専を辞めて大学に行くかという話もしましたが、私は大した具体案を出せないし、父親にもそこまで知識があったわけではないので、なあなあになりました。

 

ただ、その次の日から両親がトンデモ優しくなったので、相談することはやっぱり大切だとは思いました。友達にも吐きまくったので、気持ちはある程度楽になりました。

 

 

その後担任にも相談に行きました。「進路に悩んでいます。私にとって高専ゴミです。高専やめても良いんでしょうか。大学に行くべきでしょうか。」

 

担任からは、「大学に行きたいなら今日『大学に行きたいです』という内容で相談に来れば良いですよね。どうしようもなく辛くなったらまた考えれば良いのではないでしょうか」とのことでした。

 

 

その答えが正しいのは分かる。そのくらいの決意がないと成功しないから。大人として、先生として正しいことを言ってくれているのは分かる。

 

私は、「環境を変えたい」とは思ってはいるけど、何の実績もなく過ぎ去った3年間が大きすぎて、今更どの大学に行けるのか分からない。自分が何をしたいのかが全く思いつかないから、目指すべきところも分からない。相談に行ってもただただ自分の計画性のなさを自覚させられるだけ。将来の見えなさに絶望するだけ。やりたいことを思いついたとしてもそれはガキの夢みたいな抽象的なもので、ある程度世の中の現実を知った私には口に出すことすらできない。どうしようもなく個性のない自分。何もできない自分。こんな自分が人生を変えようとしたって、その先でまた躓くことなんて、自分が一番分かっていた。

 

私がどれだけ苦んでも、誰かに相談しても、考えても考えても、もう高専で生きる未来しか残っていなかった。

 

そのことだけをただ強く実感しました。

 

 

そのままただ日々が過ぎ去ることで前期が終わり、グチャグチャの成績が返ってきました。

 

担任と母親との三者面談は、留年しても構わないからこのまま卒業を目指そうということでまとまりました。

 

死ぬほど苦しんでクソほど考えて、それでもこの地獄を卒業することが一番現実的だから、これが1番安定策だから、これしか私には道が残っていないことを自覚したから、高専を卒業する選択をしました。

 

担任は「これはあなたの選択なので、頑張ってください」、母親からは「ここから頑張るかで人生変わるから」と言われました。

 

 

こんな消極的な選択があってたまるか。

もう人生変われないところまで終わってるんだよな。

 

 

 

夏休みは何もせず終わりました。

 

 

 

後期が始まって、私は今ただ60点以上を目指す毎日を送っています。日常生活は楽しいし、前期ほど課題が多くないのでまだ追い詰められてはいないです。

 

研究室選択の話題が出てきましたが、興味のある分野がないので、嫌いな分野と先生を省いた消去法で決めます。...まず成績悪いので決める権利ないですけど。将来は高専の良いところを使って、なるべく大きい会社にでも入ろうと思います。

 

 

 

結論

 

過去の俺へ、高専には来るな

 

 

 

あとがき

 

高専底辺の様子をご覧いただけましたでしょうか。能動的な皆様におかれましては、「もっとこうすれば良いのに...」とか、「なんでそうなるんやろ...」など、私の生活に口を出したい気持ちでいっぱいの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

私としては本当にそういうの求めてないし何もかも手遅れだし諦めきっているので、その気持ちを自分の生活に活かして幸せになってください。応援してます。

 

同情してくださる方はたまにゲームかメシでも誘ってください。

 

 

こんな暗い文章書くなら適当なネタでも書くべきでした、反省。

 

読んでいただきありがとうございました。